「私利私欲」ではなく「少欲知足」
大乗寺に行くのは、昨年10月31日の第一回伝光会だ。坐禅を組む禅堂が寒そうなので自然と足が遠のいていたのだが、邪念が増えてきた感じがするので、雪が残っていて寒いのを覚悟の上で大乗寺に行くことにした。寒くても耐えられるように上下ともヒートテックを装着。
車でいつも車を停めているお寺の駐車場に到着してみると、除雪がされていない。路上駐車するか、白銀の駐車場に車を突っ込むか・・・。迷った挙句、雪の駐車場にバックで突っ込むことにした。
そして、受付を済ませて禅堂に向かうと結構多い。寒いのに40人以上はいる。厚着な上に久しぶりに組む坐禅は、ちょっと足がきつかった。足の痛み以上に脳内の思考が止まらず「無」になれない。したがって、逆に考えを無理に止めずに思考を止めずに巡らせるようにしたら、いつの間にか思考が落ち着いていたようで、坐禅の終わりを知らせる鐘が鳴った。
その後、久しぶりに法話を聞く。
2月15日は釈迦の入滅(にゅうめつ)。つまり命日。釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要の事を涅槃会(ねはんえ)と言う。大乗寺では前日の2月14日(日)に行うそうだ。
涅槃とは「きわめて落ち着いた心境、境遇になる」という意味で「悟り」と同じ意味とされる。仏道修行は発心・修行・菩提・涅槃と言う過程を経て行う。
- 発心(ほっしん) : 真実を得たいという気持ちを起こす
- 修行(しゅぎょう): 一所懸命仏道修行をしている
- 菩提(ぼだい) : 真実に到達しする
- 涅槃(ねはん) : きわめて落ち着いた心境、境遇になる。
人間の成長過程やPDCAサイクルに似ている。
また、今日のキーワードは「少欲知足」。
この世は自分の欲望が満足されないことによって苦悩が生じることが多い。そこで仏教では「少欲知足(欲を少なくして足ることを知る)」が大事にされる。足ることを知っている者は地べたに寝るような生活であっても幸せを感じている。しかし足ることを知らない者は天にある宮殿のような所に住んでいても満足できない。足ることを知らない者はいくら裕福であっても心は貧しい。人様のために何かをすることで功徳(くどく)を生ずる。
モノ余りで何でも手に入る時代、また、エコロジー時代だからこそ、「私利私欲」ではなく「少欲知足」が重要なんだと改めて感じた。