Connecting The Dots

クラウドIT顧問 山崎ジョー吉のブログです。

時の人になってしまった“腰パン王子”

服装の乱れで、日本オリンピック委員会から厳重注意を受け、社会問題まで発展しそうになった国母和宏選手は、残念ながらメダルに届かず8位入賞に終わった。あれだけの批判を受けては平常心を保つのは並大抵の事ではない。メダルを取れなかったので、批判も沈静化した感はあるが、金メダルを取っていたら事態は続いていたかもしれない。沈静化したとはいえ、ブログを含む彼の発言は依然として2チャンネラーや週刊誌の記者からウオッチされていて、私生活もあったもんじゃない。
今回の彼の行動は果たして彼だけの問題だと言えるのだろうか?「国母問題についてのスノーボードチームコーチの説明」では、次のように述べている。

「選手の立場からみたらオリンピックは、ただ世界で最高の大会にすぎないのです。最高の大会で自分の納得いく競技がしたいというのが彼らの本音です。だれも日本をしょって立つなどと考えていません。スノーボードという競技はとても特殊です。」

また、全日本スキー連盟などが官僚体質になってしまっている点も指摘している。その他GoogleBuzzなどの発言を見てみると、「自分は悪くない、周囲が悪いんだ。人の勝手だろ」といった無責任な意見ばかり。国母選手の服装の乱れはあのシチュエーションでは確かに良くない。しかし、彼はそれが良くないことを知らなかっただけなんじゃないのか。とすると、むしろ批判を受けるべきは一緒にいた選手やコーチ、さらには社交の場でのマナーを教えなかった親や学校の先生の責任ではなかろうか。
モンスターペアレンツなど怪獣呼ばわりされるような親を増やしてしまった結果が、今回の一件の根底にあるように思う。江戸時代、いやもっと前から親から子へ、また、遺伝子を通じて伝承された日本人の和文化が損なわれつつある。日本のお家芸の「模倣とカイゼン」はすっかり中国などの新興国に奪われてしまったようだ。では、日本は今後どうやって独創的なものを生み出していくのだろうか。ただ、独創的というのは今回の国母選手の服装に称されるファッションではないことは明らかだ。また、独創性というのはその土地、歴史、文化から生まれるもの。つまり、日本人が今学ぶべきは日本そのものではなかろうか。