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Googleが中国からの撤退、中国国民に言論の自由は必要か?

昨日、Googleが中国からの撤退を正式に発表した。中国政府が情報の検閲を行い、民主主義の言論の自由を阻害していると、マスコミは一斉に報道しているが、本当にそれが正しいのだろうか。

さて、中国のGDP成長率がが二桁成長に入ったのは2003年。正確な人口すら把握出来ていない国が発表するGDP眉唾ものと称されながらも、リーマン・ショックが起こった2008年以前までは二桁成長を続けている。2003頃の中国は世界の工場と表現されていたが、中国が消費国だと見る向きは少なかった。一重に中国人の所得水準が低すぎたからだ。

ところが、現在の中国、チャイナマネーは世界経済の牽引役として期待されるほど膨張し、かつて日本人が海外で不動産屋ブランド品を買い漁る風景を再現しているかのようだ。一部ではバブルだと警笛を鳴らす人もいるが、かつての日本のバブル経済の時のように、経済成長の波に乗り貧困生活から脱出し、贅沢を味わってしまった以上、この成長がいつか止まる何て考える人は皆無だと言っても過言ではなかろう。

確かに、中国の経済は急成長、所得は倍増、生活は豊かになったが、そこに住んでいる人間の根本的な考え方や世界観は10年前と何ら変わらない。高度な教育を始めたとは言っても全ての人にあまねく実施されているかというとそうではない。つまり、民主主義、特に経済に関する教育が行われていない。

1995年にインターネットがブレイクする以前までは情報入手経路と言えば、テレビ、新聞、ラジオなどのマスメディアに頼らざるを得なかった。一部では、マスメディアに対し、情報操作がなされていると批判する意見もあったが、国民はそれで満足していた。

ところが、インターネットがメディアとして新聞やラジオを超える規模になった今、誰もが意図も簡単に情報を入手、あるいは発信することはできる時代になってしまった。つまり、(民主主義の世界で暗黙の了解で行われていた)情報操作を行うことが難しくなってきたと言える。(正しくは、秩序を維持するための自主的なフィルタリングと表現をした方が良いかも)

インターネットの普及によって、情報の調達コストが劇的に低下した。その影響で、情報の価値を決める要素から時間軸が失われてしまった。情報の価値には時間優先の原理が働くべきなのに、情報が伝わるスピードが速まってしまった結果、時間的な価値は極限まで低下している。

中国経済や社会において、経済発展に伴なう生活水準の向上は望ましいことだが、人民に対する教育が同じスピードで行われるはずは無いことから、そのギャップやねじれが逆の作用を始めると、国家そのものが揺らぐ可能性がある。

中国の深センなど工場に行くと、工場の周囲は全て高い門で閉ざされていて、そこでの労働者は自由に外出することはできない。内陸から出稼ぎに来ている労働者は敷地内に併設された共同住宅に居住し、外部との接触は出来ないようになっている。出来ないと言うよりも外部との接触を遮断していると言った方が正しい。なぜ、そのような事をしているかというと、別の工場に勤める労働者とコミュニケーションをさせると、賃金の高い工場に移ってしまうからだ。労働者の流動化は賃金の上昇につながるため、企業サイドとしては情報統制は欠かせない。

ところが、今年2月の旧正月(春節)明けに「東莞、春節後に戻ってくるワーカーは60%」という報道がなされた。深センや東莞のEMS(Electronics Manufacturing Service:他メーカーから受注した電子機器の受託生産を専門に行なう企業)を利用している日本企業の担当者は些か驚いたことだろう。年に一度の情報交換の機会が与える影響は大きい。

これらの事から、経済的には民主化が進む中国だが、経済成長の恩恵として国民の所得が急増した。しかしながら民主主義経済に関する教育が浸透していない現状において、全ての事実をオープンにする事は、言論の自由というメリットを遥かに上回る程の反作用が発生する危険をはらんでいる。子供が大金を手にしたようなもので、使い方を教えなければ近い将来に破綻してしまうからだ。モノに消費している時はまだ良いが、経済発展に何の貢献もしないような無形のモノや不要なサービスに浪費をするようになってからでは遅い。

確かに、民主主義国家において、オープン化の流れは時代の潮流である事は確かだが、急速に経済発展を遂げている新興国においてはある程度の情報統制は必要だ。世界経済の秩序を乱さない事が、世界経済の発展にとって重要なことなのではなかろうか。