日曜坐禅会3回目
大乗寺で毎週開催されている日曜坐禅会に行ってきた。
偶然にジム仲間のMさんに会い、一緒に坐禅堂に入る。
いつもは坐禅が始まってしまっているので、今回は早めに到着したのだが、いつもより参加者が多かった。
でも、今回初めて坐禅堂の中の席を確保することができた。
タイムスケジュールは瞑想30分、15分休憩、瞑想30分、法話60分の2時間強。
体が硬いこともあり、坐禅開始から20分が過ぎた頃から足が痛みだし、「痛」が「無」を覆ってしまう。
まだまだ、修行が足らないという証拠だ。
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今日の法話のポイント
■坐禅
思惑を持たないこと。身と心の調和。
■修行
座禅が修行ではなく、生活全てが修行。修行によって他人を敬い救おうという気持ちが芽生える。
褒めてもらおうというのが目的ではない。
自我が強すぎると「法」が入ってっこれない。謙虚になることで相手の心が見えてくる。
謙虚の基本は感謝。全ての行動を丁寧に。例えば、汚れているから掃除をするのではなく、
掃除をするという行為自身が修行の一環。修行中は他の事は考えないこと。
邪念は修行のとっては無駄。
■生きざま
生きざまは自分にはわからない。生きざまは後ろ姿に表れる。したがって他人からしか見れない。
■愛
愛には4つの愛がある。
1)親族の愛
2)恋愛
3)友情愛
4)見返りの無い愛
自分から縁遠くなればなるほど、愛に対して見返りを求めるようになる。
つまり、損得勘定で行動をしがちになる。
しかし、本来の愛は見返りを求めてはならない。つまりこれを「徳」という。
見返りを元めると。「徳」が「得」になり、人間関係がギクシャクし争いが始まるという。
「徳」は修行を通じて磨かねば出てこない。
また、若いうちはガムシャラな行動をすることから、全てが「損得感情」で判断するわけではないが
30代になってくると、知恵が付き自分にとっての「損得感情」で判断しがちになる。
しかしながら、人間として成長するためには「徳」をもっと磨かねばならない。
ということで、自分探しの旅は始まったばかり。