Connecting The Dots

クラウドIT顧問 山崎ジョー吉のブログです。

風呂敷残業の是非

「残業も 毎日続けば 定時です」というサラリーマン川柳があったが、最近では「ノー残業デー」という言葉も定着し、水曜日を「ノー残業デー」にしている会社は多いはずだ。一部では「ノー残業デー」を実施している企業の6割が水曜日を指定しているそうだ。その理由は週の真ん中であるという単純なもののようだ。しかしながら、水曜日の「ノー残業デー」分を補うために他の曜日の残業が増えて、結局残業は減っていないと言う話も聞く。
では、なぜ残業が減らないのだろうか?

  • 残業手当が生活費の一部になっている
  • つきあいで残業をしている
  • 仕事量が多い
  • 残業を前提とした業務体制になっている
  • 特定の個人に仕事が集中している
  • 業務に繁閑の差がある
  • 顧客の都合に合わせている
  • 残業していると評価される
  • 仕事をキッチリやり遂げたい
  • 早く家に帰ってもすることがないから

など。

でも、いずれも残業を正当化しようとしているとしか思えない。実は「残業をしたい」と思っているのではなかろうか。残業をしたいと思っている人から残業を無理に取り上げてしまうと、逆にやる気を削ぐことになってしまう。むしろ残業をしたい人には残業をさせるべきなのではなかろうか。

しかし、毎日残業をし、一日の内に占める会社での滞在時間が長くなればなるほど、その人の活動範囲は狭まり、外部からの刺激に弱くなってしまう。これじゃ籠の鳥と同じで人間本来の行動や想像力が鍛えられるはずがない。

話は変わるが、台湾人の多くは残業をしないそうだ。また、台湾では家で御飯を食べるよりも、夜一(よいち)と呼ばれる屋台で晩御飯をワイガヤで食べる日が多いようだ。もちろん、会社の同僚と一緒の時もあるだろうが、社外とのコミュニケーションが多いそうだ。値段も安く晩御飯を全く作らない家庭もあるとか。

食事をしながら会話をする。会話を楽しみながら食事をする。どちらが主であっても楽しくて美味しいはずだ。残業をしているよりも絶対良い。日本にはこんな場所がいつの間にか無くなってしまったのだ。飲みにいったとしても同僚や上司と一緒だったりと、会社の延長線上である場合が多い。

ところが、ソーシャルメディアがそれを変えつつあるようだ。同じ価値観や同じ地区に住んでいるなど、何らかの接点がある人達がツイッターなどで知り合い、オフ会と称して集まって会話や食事を楽しむという機会が増えてきているようだ。私自身も感じるし、参加する機会が増えてきた。
「ネットの世界で生きているやつはリアルでは生きていけない」何て意見もあったが、ツイッターでフォロワーの多い人はネット住人というわけではなく、リアルでもちゃんとコミュニケーションを取れる人が多かったりする。

引篭もり減少がソーシャルメディアによって緩和されるだけでなく、コミュニケーションの円滑化を促進し始めている。残業をするよりもそっちに参加する方が、新鮮で新しい発想のきっかけや気付きを与え、自身の成長に多いに役立つはずだ。

一方で、本当に物理的に仕事量が多い人はどうする。仕事をやむなく持ち帰るケースも少なくはないはず。いわゆる「風呂敷残業」というやつだ。セキュリティやコンプライアンスの観点から「風呂敷残業」は望ましくないという意見もあるだろうが、風呂敷に包んで持って帰る仕事の内容を変えてはどうだろうか。仕事で一番多く時間を費やしているのは実は考えている時間「シンキングタイム」だったりする。つまり、シンキングタイムを休日のリラックスした時の一部に費やしてみてはどうだろうか。脳がリラックスした時であれば、効率も想像力も高くより効果的なはず。

残業は悪のような見方も多いが、残業をしたいと感じている人から残業を奪うのは健康上望ましくない。それよりも残業よりもやりたい事を見つけてあげることが重要だ。それをワークライフバランスというのだが、それを支援するのが上長の仕事の一つだと自覚することが必要だ。そのためには、上長は部下以上に様々な交流を持つ必要がある。そのためにもまずは「動く」事が重要だ。