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Connecting The Dots

日頃の気付きを綴っていきます

青空ワールドカフェで「自然」について考える

金沢市の中心部の中央公園で開催されたアースデイ2011金沢共催イベントとして、屋外でワールドカフェを開催。いつものようにマイクやパソコンなど電子機器を使わずにやるというのは始めての経験で、一体どうなることやら?果たして参加してくれる人がいるんだろうか?何て心配をよそに大勢の方が集まって対話を楽しんだ。

目印はこの手作りのぼり旗

写真を見るとワールドカフェというよりもお花見?

さて、テーマは「自然」
ラウンド1では「自然ってなんだろう?」まずは、定義の確認と共有から。

自然といえば・・・?
水、土、木、森、太陽、天然・・・人工で無いもの・・・エコ。

じゃあ、会場である「中央公園」は自然?
公園全体で見れば人工的だけど、木や花は自然だよ。いやいや自然だよ。ここは意見が別れる。

では、自然の反対って何だろう?

自然 <=> 人工?この意見が一番多い。

では、人間が自然を破壊しているというのは本当だろうか?
地球から人間が居なくなったら自然はどうなるんだろう?

人間がいなくなったら植物は繁栄のための移動手段を失い、淘汰されていき、結果として今のような自然ではなくなるのでは無いだろうか。

つまり、不自然になるのだ。自然の反対は人工じゃなくて「不自然」である。

人類を含む動物は、植物を中心とした自然に操られるかのように行動をし、自然界の反映に貢献してきた。
しかし、不自然な行動は時には自然によって正されてきた。自然界に存在しないものや生態系を破壊するような自然から見て、不自然なものは自然によって排除されているかもしれない。

例えば、化合物食品の大量摂取はアレルギーの原因となり、国民病ともいえる花粉症を引き起こしているなど。また、原子力は自然界に取って不自然な存在なのかもしれない。

人類は、自然界の繁栄に欠かせない存在なのだ。しかし、ある程度の行動は許されるものの、行き過ぎた不自然な行動は正させるのだ。

では、人類の不自然な行動って何なんだろう・・・?

ワールドカフェに戻る。ラウンド3のテーマは「100年後の自然を守るために、自分たちができることってなんだろう」。

KAZUさんの意見:「昔、中央公園の中から見た景色には、大和などの建物はなかった。これが自然という景観を台無しにしている!破壊するか、壁を緑に塗っちゃえ!」

それに対する意見:

  • アサガオを植えて蔦を壁面に這わすのでも良いかも」
  • 「でも、大和に許可をもらわないといけないよね」
  • 「誰が水やりなどの世話をするの?」
  • 「そりゃ、大和の従業員だろ!」
  • 「それってちょっと無責任かも」
  • 「そもそも自然維持のために許可を得るってのが間違ってるのかも」

ここで気づいたのは、(国によって異なるが)人類は土地を所有(専有)する権利を持っている。しかし、土地は自然界から貸与されているもので、不自然に利用する権利は人類には与えられてはいない。土地の専有が自然にとって邪魔な存在であれば、土地の所有権を認めず流動化してしまったらどうだろうか。

具体的には、次のとおり。

  • 日本国内の土地の定義を所有権ではなく期限付きの占有権に変える
  • 占有者は毎年専用権(現在ん固定資産税)を支払う
  • 占有者には定義された自然界への貢献度に応じたエコポイントが毎年付与される
  • 土地の占有者以外の人には、日々の自然界へ活動に応じてエコポイントが付与される
  • 土地占有するには、お金とは別にエコポイントが必要
  • 里海、里山のような過疎地というか人が少ない地域を占有すると与えられるエコポイントも多い。
  • 占有権は売買できるが、買い手は土地に応じたエコポイントが必要。つまり、自然界に貢献できない人には占有権は与えられない。
  • 自然界への貢献は、植物を植え、育てることでも、杉の木の間引き、ごみの清掃、電力を使わない生活など何でも良く、自然なライフスタイルを創造していくことである。
  • 原発に変わる代替エネルギーを探したり、開発するのではなく、原発が無くても暮らせるような低エネルギーなライフスタイルをすることが100年後の自然のために、今私達ができることなのだ。

ワールドカフェの特徴として「結論を無理にまとめる必要は無い」というのがあるが、ワールドカフェの対話を通じて発生した「もやもや感」を自分なりに考える事で、自らの解を見つけ実行に移していくというのが、ワールドカフェの目的の一つなんだよね。


参加してくれた皆さんは、一日経って、自然についてどのように考えてるんだろうね。