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クラウドIT顧問 山崎ジョー吉のブログです。

仏教では「天国」は無い?第5回伝光会より

石川県金沢市にある曹洞宗 東香山 大乘寺(大乗寺)は、福井県道元禅師がご開山された曹洞宗大本山永平寺の第三代・徹通義介禅師(てつつうぎかいぜんじ(1219〜1309)がご開山されたお寺。徹通義介禅師のお弟子に瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師(1268〜1325)がおられ、瑩山禅師は、大乘寺第二代となり、やがて羽咋市の永光寺、ついで大本山總持寺を開き、日本で最多寺院を擁する曹洞宗の基盤をつくられ、道元禅師を高祖とおよびするのにならんで太祖と仰がれています。


大乗寺では、道元禅師が執筆した仏教思想書である「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」を学習する集いである「正法眼蔵会(しょうぼうげんぞうえ)」と、瑩山禅師が提唱した「伝光録(でんこうろく)」を学習する「伝光会(でんこうえ)」を毎年開催している。今年は11月2日、3日に「伝光会」が行われ参加してきた。

「伝光録」とは光を伝える記録のこと。「光」は「正法眼蔵」を指し、「伝」は人、つまり自己を指す。また、仏法では「法」とは真理、真実を意味し、「すべてのものはうつりかわる(諸行無常)」「すべてのものはかかわりあう(諸法無我)」を示す。

元来、僧侶は文字では伝えず直接伝える事が多いことから書物は少なく、95巻からなる「正法眼蔵」はとて貴重な存在だそうだ。一方の「伝光録」は瑩山禅師が記したものではなく、仏法の根本精神を叩きつけたと表現されるように、語ったその教えを別の僧侶が書いたものだと言われている。

正法眼蔵」「伝光録」ともに難解な文章で意味を理解するのは難しいが、原文に触れることで、本質に少しでも近づけようとする意図が込められているようだ。情報が溢れている現代社会における悩みの多くは人間関係のもつれが原因であるケースが多い。そんな心の悩みや病を軽減するために、様々な本やセミナーなどがあるが、いずれもその本質は仏教にあるケースが多い。人伝えされる間に別のものに変化してしまっているケースも多いことから、今こそ本質にふれるべきなのかもしれない。

さて、告別式などで「天国でお幸せに、天国でまた会おう」などと弔辞を読んでいる人がいるが、仏教の世界では天国は無いそうだ。仏教には天という漢字を使った言葉があるが、六欲天は、天部(神)のうち、いまだ欲望に捉われる6つの天界を意味するそうだ。つまり、六欲天ちは神よりも現実社会に最も近い低い位置にあるのだそうだ。

また、「黙祷」も仏教には無いものだそうだ。多くの日本人が仏教徒であるにも関わらず「合掌」ではなく「黙祷」をするのは、言われてみると違和感がある。オリンピック最終プレゼンで滝川クリステルが「お・も・て・な・し」の後に合掌のポーズをしたことや、日本シリーズの最終戦の9回にまーくんが登場してきた際、多くの楽天ファンが「まーくん頼む!」と祈りながら合唱をしたはずだ。これらのことから日本人には仏教の教えが根付いていることがわかる。食事の時の「いただきます」「ごちそうさま」もそうだ。そう考えていくと、悩み多き時代だからこそ、本質、つまり仏教や歴史から学ぶべきなのではなかろうか?